勉強を自分の中で再定義すると人生が変わる
よく自分で「勉強が苦手」と言う人がいる。
そもそも「勉強」って何?
思うに、「勉強が苦手」というラベルを自分に貼っている人はかなり損していると思う。
というのも、おそらくそのように言う人の大半は勉強を「学校のテストの点数や成績あるいは偏差値」だと解釈しているからだ。
たしかに、学校教育も勉強の一つだ。
しかし、実社会ではどうだろう?
学校の勉強を実社会で生かす場がどれだけあるだろうか?
辞書で「勉強」という言葉を調べると面白い。
- 1 学問や技芸などを学ぶこと。「徹夜で―する」「音楽を―する」
- 2 物事に精を出すこと。努力すること。
- 「何時までもこんな事に―するでもなし」〈
・ 〉
- 3 経験を積むこと。「今度の仕事はいい―になった」
- 4 商人が商品を値引きして安く売ること。「思い切って―しておきます」
- (goo辞書より引用)
勉強という言葉には非常に広い意味があることがわかる。
それなのに偏った見方で「勉強が苦手」ラベルを貼ってしまう人は自分で自分の可能性を狭めていることになる。
ある意味それは今の学校教育の問題点であるとも言える。
そのような意識を生徒に植えつけて、可能性を奪い去ってしまう。
そういった負の側面もあるのだ。
偏差値という努力が数値となって現れて、一見、公平にみえるもので序列化することはこのような危険もはらんでいる。
私は勉強を「その人の将来を豊かにするもの」だと考えている。
スポーツで負けた時の悔しさを経験するのだって勉強だし、本を読むのだって勉強だし、さらに言えば生きていて自分の身に起こること全てが勉強。
勉強を狭い意味で捉えるのではなく、広い意味で捉えればきっと人生がもっと楽しくなるはず。
毎日、「あー、今日は良い勉強した」と言っているはず。