教師になることをやめ、文系からIT系に進んだ理由
EdTechという言葉
僕自身が興味のある言葉の一つに「EdTech」という言葉がある。
Education(教育)×Technology(テクノロジー)の造語で、
明確な言葉の定義というのはないそうだが、
簡単に言うとITの技術を教育に取り込むという意味だ。
例えば、英語教育を例にすると、オンライン英会話。
また、生徒の成績を管理したり、授業で電子黒板を使うといったことも広義ではEdTechに含まる。
学校の先生になるということ
僕は学校の先生になることが夢だった。(今でもなりたいという気持ちは持ち続けている)
しかし、学校教育の現状を考えると一教師として変えられることに限界を感じている。
教師としての裁量権に限りがあるということもあるが、
外的要因に影響を受けやすい学校教育に対する疑問もある。
もちろん今でも学校の先生になりたいという気持ちは持ち続けているので、
教師という職業に魅力は感じています。
学校の先生になることのメリットは、被教育者(=生徒)との距離が近いことだろう。
自分が責任と信念を持って子どもと接すれば、その変化・成長を肌で実感できる。
実に魅力的な職業だ。
教育にITを持ち込む危険性と可能性
社会は急速にIT化が進んでいる。
自動運転車も試運転を開始したし、
ロボットの開発も進んでいて、これからますます人間が行う仕事をロボットが代替するということが増えてくる。
これは疑いようのない事実だ。
人間がこれまで手作業でやっていたことを機械がやってくれるということはますます増えていくだろう。
一方で、僕が懸念しているのは教育にITがなだれこんでくること。
極論を言うと、Face to Faceの授業がなくなり、機械学習のみになってしまうこと。
(例えば、)e-Learningはある特定の分野に限っては良いのかもしれない。
ただ、Face to Faceのスタイルは残した方が良いと思う。
部活動でみっちりとしごかれて精神的に鍛えられたり、
良い先生と出会うことで価値観が変化したり、
こういった経験は対人である方が効果があると思う。
その反面、機械化できる余地もまだまだ残っている。
例えば黒板。
先生が必死に黒板に書いたことを生徒が写す。
現実の社会では、プレゼンテーション・講義・会議を行う場合にはプロジェクターを使うなりして、PCであらかじめ用意されたものを使う。
その方がはるかに効率的だからだ。
学校の先生が一つの授業で板書に使う時間はおよそ10分と言われている。(もちろん、教科や内容による差はある)
実際、黒板に書かれた文字を生徒が写す時間も含めると相当な労力である。
これを毎授業繰り返す。
理由は「そういうものだから仕方ない」。
この10分を「仕方のないもの」だととらえるのか、
それとも、「この10分を他のことに使えば、子どもたちのためになることができる」ととらえるのか。
僕が考える理想のEdTech
僕は前述したような「無駄(=非効率的なもの)」はどんどんITで効率化するべきだと考えている。
なぜなら、効率化することで産出された時間を他の活動に充てることができるからだ。
その一方で、学校教育の「対人」であることによるメリットは残すべきだと思う(たとえそれが非効率だと感じられても)。
また、学校教育に多くを求めすぎないという姿勢も大事だと思う。
家庭教育・地域教育が昔と比べて衰退してきた(と言われている)ことが学校に重責を担わせる要因だとは思うが、
当然のことながら教育の責任は学校だけのものではない。
大人の責任だ。
これからの時代、子どものうちからITサービスを利用するということがどんどん当たり前になってくると思う。
そうなった時に、EdTechにはこれまでの教育的な観念とはまた違った形での教育力が求められると思う。
さまざまな切り口があるし、ITは開かれている(誰でも自由に参画できる)から可能性が大きい一方でそれだけ影響力も高い。
だからこそ、真に求められていることを感じ取り、リスクを勘案したうえでサービスを開発しなければならない。
そこには責任も伴う。
僕は、学校教育ではカバーしきれない部分をEdTechでカバーしていきたい。
意欲のある子どもが飛び抜けられる環境を作ってあげたい。
自信をなくした子どもが自信を取り戻し、奮起できるようなサービスを作りたい。
責任と信念を持っていれば、教育に良い風を吹き込むことも可能だと信じて進む。