「社会人経験がない教員が多いことに対してどう思いますか?」の自分の回答
社会人経験がないまま教員になる。
大学を卒業してすぐ教員になる。
これは今の日本では教員になる王道である。
一方、こうした状況に社会側の要請としては疑念を抱いている。
最近では教員採用試験に社会人枠を設けて、一定数社会人経験のある教員を採用するという試みも増えてきている。
また、教員に民間研修を実施するという動きもあるようだ。
こうした議論は随分前からあるもので、その度に思うことがある。
それは、「社会人経験を積むアドバンテージとは何なんだろう?」ということ。
おそらく、一般論は、
社会に生徒を送り出す立場である教員が社会のことを知らないのはおかしい。
社会人経験がある教員は実社会の目線を持っているため、良い教育ができる。
ということだと思う。
とても抽象的だと思う。
だって、そもそも教員自体社会人なんじゃないの?
学級のマネジメントをしたり、保護者とやりとりしたり、教材やプリントを作るといったデスクワークもこなす。
これって立派な社会人ですよね?
だから、こういった議論は根本的に視点がずれているのだと思う。
僕が思うに、教員は必ずしも社会人経験(ここでいう社会人経験とは民間企業に勤めること)を積む必要はないと思う。
その代わり、社会に対して関心を持たなければならないと思う。
変化が激しい現代において、社会人経験があったとしても、社会は5年、10
年後には形を変えているのだからどんどん陳腐化されてしまう。
だから、大事なのは常に時代の流れに敏感になり、常に新しい情報を入手しようという姿勢なのだ。
たしかに民間企業に勤めたことがあるのなら、勤めたことのない教員よりも一つ多く視点を持っている。
しかし、必ず広い視野を持っているとはならないと思う。
民間企業だって、何年も勤めあげてようやく会社全体のことが見えてきたり、業界について考えることができるようになったり、社会全体に視野をうつせるようになる。
たかだか数年で社会のことがわかるようになんて到底なるわけがない。
教員は学び続けなければならない。
Webアプリケーションを作るための備忘録①
当面の目標として、「Webアプリケーションを作る」ということがあります。
Javaの勉強をしているのでAndroidアプリも作ってみたいとは思いますが、現時点での最終目標はWebアプリケーションを作れるようになることです。
また、全体を見渡せるようになるために「一人で」全てのことをこなせるようになりたいと思っています。
そこで、今回はWebアプリケーションを作るためにどのような知識が必要になるのかを洗い出していきたいと思います。
ちなみに、まだJavaの基礎を抑えて、DB(データベース)、SQLについてかじった程度なので、誤った情報が含まれていることもあると思いますので閲覧注意です。
ECサイト(Amazon,楽天市場など)やSNS(Facebook,Twitterなど)、検索エンジンなどのWebブラウザ上で稼働するサービスのことをWebアプリケーションといいます。
WebアプリケーションはWebブラウザ上にページを表示するためにHTMLという言語で記述します。
今見ていることブログもHTMLで記述されていることになります。
つまり、HTMLをわからないと何もはじまらないということです。
そして、本屋さんなどに行ってHTMLを勉強しようとするとよく目にするCSSという言葉。
CSSは、HTMLで記述されたページの詳細な設定をするためにあります。
具体的には、中央揃えにしたりするためにあります。
HTMLでもこのような調整はできるようなのですが、HTMLは情報構造を定義するための言語であるため、このような調整までしてしまっては、情報構造が崩れてしまい、検索エンジンに理解されなくなるなどの危険性があります。
また、閲覧環境の違いによっても見栄えが左右されないようにするには、CSSを活用するのがベターです。
ちなみにHTML5やCSS3のように数字がついていることがありますが、これはVersionを表すようです。
CSSと同様に、HTMLを勉強しようとするとでてくるJavaScript。
JavaScriptは、HTMLやCSSで記述したページを動的なものにすることができます。
ここらへんはまだ少し曖昧なので、HTMLとCSSの勉強をしなければダメですね。
実際にWebアプリケーションを作るとなると、膨大なデータを扱うことが想定されます。
そのようなデータを高速かつ安全に扱うために用意されているのがデータベースです。
その中でも代表的なものがRDB(Relational DataBase)です。これは、表形式でデータを管理するデータベースです。
Oracle DBなどの有料なものから,MySQLなどの無料のものまでさまざまなデータベースがあります。
このデータベースの情報を取り出したり、書き換えたりするなどの指令を出すための言語がSQLです。(MySQLとSQLは同じものだと思っていましたが全く別のものでした・・・)
全体像を把握しようとする中で気になったのはJavaはどこで必要になるのか?ということと、HTMLやCSSで記述されたページの裏方となるもの(機能)はどのように付加していけば良いのか?ということです。
おそらくそこでJavaなどのプログラミング言語が必要になってくるのだと思いますが、そのつなげ方などがまだ明らかになっていないのでなんともいえませんね。
Java、SQLについては基礎レベルは身についたと思います(実務レベルかどうかは実際にやってみなければわかりませんが・・・)
今後身につけなければならないこととしては、
4のサーブレット&JSPは現在進行形で書籍で勉強しています。『スッキリわかるサーブレット&JSP入門』という書籍で勉強しています。
何のために勉強しなければいけないのかも含めて勉強中なので、これがWebアプリケーションを作るうえでなぜ必要なのかはこれからわかってくると思います。
5についてですが、DBを操作する言語であるSQLの書き方はどの製品を使うかによって若干異なるようです。
おそらく、就職先で扱うのは商業用として最も人気の高いOracle DBですが、自分でサービスを作るとなると商業用は高価なので、無料のMySQLあたりを使うことになると思います。(ちなみのFacebookもMySQLを使っているということを聞いて、無料でもいけるんじゃね?と思いました)
勉強を進めれば進めるほど、勉強しなければならないところが増えてきます。
着実にステップアップしている実感があるので楽しいですね。
年内にAndroidアプリ、来年の春(3月)までにWebアプリケーションを作ることを目標にがんばろうと思います。
「教育を良くしよう」と考えた時に、一番最初に考えてほしいこと。
「今の日本の教育ってここがダメだよな!もっと◯◯にしていかないと・・・」
よくある居酒屋の教育談義だ。
教育は誰もが一度は経験しているため、それぞれが何かしらの意見を持っているはずである。
目を閉じて10秒間、今の日本の教育の現状と理想像を考えてみてほしい。
おそらく、ほとんどの人が考えたのは学校教育についてだと思う。
冒頭で出てきた発言も、おそらく学校教育に向けられたものだ。
しかし、一つここで確認しておきたいのは「教育=学校教育」ではないということだ。
例えば、教育を変えようとした時に以下のようなアプローチが考えられる。
学校の先生になって直接生徒に教える。
政治家、教育委員会などの学校の決まりを定める組織に入って、制度を変えていく。
教育関係のサービスを提供する。(塾、オンライン英会話など)
NPOなどの組織で教育に携わる活動をする。
家庭内教育。
地域教育。
男は背中で語る。
実際、教育は子どもを取り巻く社会環境とも密接に関係しているため、挙げれば枚挙にいとまがない。
教育を良くしていきたいと思った時、多くの人は学校の先生になるという選択肢をとる。
学校は子どもに対して直接的に働きかけることができるし、学校という組織には何もしなくても日本中の子どもが入学してくる。
例えば、某教育系企業BENES◯Eは顧客として子どもを獲得するために莫大な費用を投じているが、全ての子どもにアプローチすることはできない。
しかし、学校は言うなら顧客率100%だ。(顧客というと語弊があるが)
そういった意味でも、子どもに働きかけようと思った時に学校の先生になるという選択肢はとても良い選択であると思う。
しかし、それと同時に他の選択肢があることも知らなければならない。
それは、学校の先生になりたいと思っている人以外も、だ。
それを知らない(または意識しない)のが現状だ。
そのため、「教育=学校」という図式ができてしまい、教育の責任を全て学校に押し付けてしまう発想になってしまう。
教育を変えるのは学校だけではない、ということを頭に入れておかなければならない。
(もちろん、顧客率100%という学校に求めることが多くなるのは至極当然のことであると思うのだが。)
また、教育を受ける側としては、学校が全てだと思ってはいけないし、常に現状の教育に対して疑う目を持たなければならない。
用語帳勉強法
プログラミングを勉強していくと、わからないことがたくさん出てくると思います。
そのうえ、わからないことを勉強しようとすると、さらにわからない言葉が出てきます。
バッファ、レンダリング、トランザクション・・・はて何のこと?は日常茶飯事です。
そこで、昔英単語を覚えるために作った単語帳のごとく用語帳を作りました。
今回は、この用語帳を使った用語帳勉強法と、その時におすすめしたい文房具について書いていきたいと思います。
プログラミングのみならず、きっとさまざまな勉強に応用できる方法だと思います。
まず、用語帳の元となるノートですが、私は利便性を考えてこのようなものを使っています。
画像ではわかりにくいかもしれませんが、ノックしたら音が跳ね返ってくるぐらい硬い素材です。
そのため、カバンの中に入れておいてもぐしゃぐしゃになりません。
また、ゴムもついているので、勝手に開いて、中が汚れる心配もありません。
内外ともにタフな作りとなっています。
用語帳は肌身離さず持ち歩くことを前提としているので、タフなものを選びたいところです。(ちなみにこれは100均です!)
暗くて見えにくいかと思いますが、よくハードカバー本についている一体型のしおり(?)がついているのもポイントです。
用語帳は、繰り返し見ることを前提に作るため、読んでいる途中のページに挟めておけばすぐに再開することができます。
中を開くとこのようなシンプルな作りに。
一般的なノートのサイズであるB5と比べるとこのような感じです。
ふた回りくらい小さなサイズになっているのもポイントですね。
どうしてもB5サイズだと開ける場所が限られてしまいます。
ぱっと開いて、ぱっと書き込むには「手帳のサイズ」がベストなんですよね。
小さなカバンでも無理なく入ります。
実際の記入例ですが、まずはオーソドックスな記入方法としては以下のようになります。
僕の場合、プログラミングを英語で勉強していく必要性もこれから出てくると感じているため、スペルと一緒に覚えています。
というのも現在、ブリッジSEと呼ばれるオフショア開発(海外へのアウトソーシングのようなもの)の際に日本の企業と海外のプログラマーをつなぐ役割を果たすSEが不足していて、そういった方向に進むのも面白いと考えているからです。
さて、ノートを見てもらえればわかる通り、
左ページには英語のスペルと日本語の用語名を、
右ページにはその意味を書いています。
さらに、下の画像はもう少し違った使い方をしています。
基本的な構造は先ほど説明した通りですが、それに縛られることなく、柔軟に図表を入れるなどして見やすくしています。
覚えたい用語がある用語と親子関係にある場合には、その関係性もぱっと見てわかるように書きます。
ここらへんの使い方は、人それぞれだと思いますが、本来の目的である
「用語を覚える」
という部分と照らし合わせて理にかなっているのであれば、柔軟に変化させるよう心がけています。
ちなみに、用語帳に書き込む際にはフリクションがおすすめです。
というのも、長く使うものですので、シャーペンだとかすれ、うすれといったように徐々に劣化していきます。
かといって、ボールペンだと書き間違えをした時に面倒ですよね。
まして、何年も使うということを考えた時に、ボールペンで書いた文字の修正跡があったら少し萎えますよね(ね?笑)
フリクションならよほどの高温でない限りは文字が消えることはありませんし、ミスをしてもすぐに消すことができます。
ということで、今回は用語帳勉強法を紹介しました。
成果としては、
わからない言葉があるたびにそれを覚えていった甲斐あって、徐々にIT用語に慣れてきました。
また、少し難しいと感じる勉強をする時に、先ほどもいったように柔軟に用語帳にまとめることで、効率良く覚えることもできました。
ある意味、この用語帳は自分専用の参考書です。
世界に一つだけの用語帳、作りませんか?
ONLY ONE...
勉強を長続きさせる秘訣
「よしっ、何かの勉強をしよう」と意気込んで、資格の勉強を始めたり、趣味の勉強を始めたりして、気づいたらやめてしまう人っていますよね?
なぜ長続きしないのか。
今回はそんなことを考察していきます。
そもそも私自身は勉強を以下のように捉えています
勉強を自分の中で再定義すると人生が変わる - 新米プログラマーの脳内メモ
私は勉強を「その人の将来を豊かにするもの」だと考えている。
スポーツで負けた時の悔しさを経験するのだって勉強だし、本を読むのだって勉強だし、さらに言えば生きていて自分の身に起こること全てが勉強。
勉強を広い意味で再定義しましたが、ここではあえて大きく2つの勉強について考えてみます。
①仕事に必要な知識・スキルの勉強
②趣味的な勉強
一般的に①の方がハードルが高いと言われています。
そもそも仕事とはザックリ言うと、「自分にできないことできる人に任せること」です。
つまりは、一般の人ではできないことだからこそ仕事になるということです。
そう考えると自ずと①の方がハードルが高くなるというのもうなずけるはずです。
対して②はあくまで趣味だから他者の欲求を満たす必要はない。自己の欲求を満たせれば良いのです。
しかし、趣味が高じて仕事になったと言うように、趣味もある一定スキル以上になれば十分仕事になりえます。
それはどんな時でしょうか?
私は趣味には段階があると考えています。
例えば絵を描くというのを例にしてみましょう。
最初は自分が納得できる絵を描けるように練習するはずです。自己の欲求を満たす段階です。
次に、自分が納得できるようになると、次は誰かに絵を書いて見せたいというように変わります。他者の欲求を満たす段階です。(人によっては、他人から求められるということもあるでしょう。)
こうして、
欲求の矛先が「自己→他者」に変わり、それが認められるとそこに報酬が発生し、仕事となるわけです。
報酬とは、金銭的なものだけではありません。
感謝の気持ちや笑顔といったものも含みます。
さて、今回は勉強が「なぜ長続きしないのか?」ということでしたが、それはゴールがないからだと考えます。
自分で満足のできる絵を書けるようになる。
◯◯さんの似顔絵を書いてあげる。
個展を開く。
将来、絵で食べていきたい。
などゴールの例はさまざまですが、特に自分が飽きっぽいと思う人は達成しやすいゴールを設定することから始めてみてはどうでしょうか?
勉強を自分の中で再定義すると人生が変わる
よく自分で「勉強が苦手」と言う人がいる。
そもそも「勉強」って何?
思うに、「勉強が苦手」というラベルを自分に貼っている人はかなり損していると思う。
というのも、おそらくそのように言う人の大半は勉強を「学校のテストの点数や成績あるいは偏差値」だと解釈しているからだ。
たしかに、学校教育も勉強の一つだ。
しかし、実社会ではどうだろう?
学校の勉強を実社会で生かす場がどれだけあるだろうか?
辞書で「勉強」という言葉を調べると面白い。
- 1 学問や技芸などを学ぶこと。「徹夜で―する」「音楽を―する」
- 2 物事に精を出すこと。努力すること。
- 「何時までもこんな事に―するでもなし」〈
・ 〉
- 3 経験を積むこと。「今度の仕事はいい―になった」
- 4 商人が商品を値引きして安く売ること。「思い切って―しておきます」
- (goo辞書より引用)
勉強という言葉には非常に広い意味があることがわかる。
それなのに偏った見方で「勉強が苦手」ラベルを貼ってしまう人は自分で自分の可能性を狭めていることになる。
ある意味それは今の学校教育の問題点であるとも言える。
そのような意識を生徒に植えつけて、可能性を奪い去ってしまう。
そういった負の側面もあるのだ。
偏差値という努力が数値となって現れて、一見、公平にみえるもので序列化することはこのような危険もはらんでいる。
私は勉強を「その人の将来を豊かにするもの」だと考えている。
スポーツで負けた時の悔しさを経験するのだって勉強だし、本を読むのだって勉強だし、さらに言えば生きていて自分の身に起こること全てが勉強。
勉強を狭い意味で捉えるのではなく、広い意味で捉えればきっと人生がもっと楽しくなるはず。
毎日、「あー、今日は良い勉強した」と言っているはず。
勉強に集中するための方法
前回の記事、「業務チェック表を付けさせることは良いことなのか?」の中で、ミスを防ぐ仕組みの作り方について考察した。
仕組みの作り方は大まかにいうと以下のようになる。
-
STEP1.面倒だと感じない方法でミスの確率を減らす方法はないかを考える
-
STEP2.ミスの確率とミスを引き起こした時のリスクの評価をする
- STEP3.ミスを防ぐ仕組みを考える
従業員のミスを減らすという視点で書いたのだが、これは、自分自身をコントロールするという観点からみても有用なように思う。
例えば、何か成し遂げたい目標があったとする。資格取得、スキルアップ、受験勉強・・・何でも良い。
それを成し遂げるために毎日3時間の勉強時間が必要だとする。
おそらく意識の高い人、勉強に抵抗のない人にとって、この数字は決して難しくはないと思う。
そうでない人にとっては「意識を変えなきゃ!」、「そんなんじゃ、いつまでたっても目標は達成できないよ」と言ってもなかなか変えられないし、自分から変わることも難しいと思う。
では、そんな人が継続してやるためにはどうしたら良いだろうか?(そもそも3時間程度できないくらいの志しかないなら最初から目指す必要はないという考え方の人もいるかもしれないが、ここではそういった考え方は考慮しない)
そんな時に参考になるのが、上記の「仕組みの作り方」である。
「業務=勉強」と置き換えて考えていく。
まず、「STEP1.面倒だと感じない方法でミスの確率を減らす方法はないかを考える」とは勉強に置き換えると、「面倒だと感じない方法でサボる確率を減らす方法を考える」ということになる。
例えば、勉強する時間を固定するといったことが考えられる。
そして次に「STEP2.ミスの確率とミスを引き起こした時のリスクの評価をする」とは勉強に置き換えると、「サボってしまう確率とサボってしまった時のリスクを評価する」ということになる。
極論だが、「一週間後のテストで80点以上取らなければ死ぬ」といった極限の状態の場合、STEP3に進むことになる。
逆に、どうでもいいことならたとえサボる確率が高くても構わないだろう。
集中したくてもサボってしまうという人はまず、サボってしまった時のリスクを冷静に評価するべきである。
それが取るに値しないリスクなら構わないが、そうではなく、自分の目標を達成するために必要なことだと感じるのならSTEP3に進むべきだ。
「STEP3.ミスを防ぐ仕組みを考える」では、やはり業務チェック表のようなある程度の拘束力を持ったものが良いだろう。
勉強時間管理表を作成したり、勉強したらそれを第三者に報告するなどの強制力を伴う仕組みを考えるべきだ。
人間誰しもSTEP3にいかざるを得ない精神状態の時があると思う。
しかし、もちろん理想は仕組みなど作らなくても実行できることだ。
では、仕組みを作らなくても実行するにはどうしたら良いか?
これに関する私見はまた別の機会で触れることにする。